虐待は「昔のことやんか」では済まない
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■虐待を受けてきた経験のある方が
(子ども時代は大丈夫だったけれど)
大人になってから生きづらさを感じはじめる
ということがあります。
■多くの場合、
今の生きづらさと
過去の虐待経験との関連性に
気づくのに時間がかかり、
「メンタル不調(障害)が出てからやっと気づいた」
などという場合も少なくないもの。
■これをその当時の親に
「昔のことが今の人生に影響してる」
といくら伝えたところで
「は?昔のことを今ごろ何言うとるん?」
「あの頃は私たちも大変だった」
「そのことは前に謝ったでしょ?(しつこい)」
などと言われて感情のやり場がない
ということになったりしがち。
■親が謝ってくれない。
仮に謝ってくれても楽になれない。
どちらにしても自分が生きづらい。
だったら悪いのは(生きづらい)私なんじゃないか?
こんな風に思って、
ずっと何年も悶々とした日々を過ごす
という方もいらっしゃいます。
虐待は「昔のことやんか」では済まない
■虐待は
「昔のことだ」
では済まされない問題です。
■(虐待を)やった側は
「昔のことだ」
「もう済んだことだ」
「いつまでもしつこい」
「今はもうやってないからいいだろう」
「あれはあれで教育の一環だ。しつけだった」
「おかげでいい子に育ったじゃないか」
「オマエも親になればわかる」
などと言って、謝ろうとしない人もいます。
■虐待を与えた側の理解は「軽い」のです。
認識が軽すぎます。
■他にも
「私は手は上げたことはない」
と言う人もいますし、
「叩いたけれどほんの数回だけ」
と言われた方もいました。
虐待には4種類ある、ということを知って欲しい
■虐待には4つの種類があります
- 身体的虐待
→暴力やせっかん、縛り付けたり家から締め出す、冷水を浴びせたり布団にす巻きにしたり、狭い部屋に閉じ込める等の行為 - 心理的虐待
→言葉や態度で追い詰めたり、激しく叱って謝らせたり、必要以上に恐怖感や罪悪感を感じさせる言動を浴びせ掛ける行為
→「あれは毒だから食べちゃダメ」などとファストフード店に行かせない、逆に不衛生なものを食べさせる、なども心理的な虐待行為です - 性的虐待
→触れる、触れさせる、性交渉に及ぶ、写真や動画に撮ろうとする、成長の変化を口にする - ネグレクト
→育児放棄。子どもを放置する。不潔にさせる(着替えさせない・お風呂に入れない)、家にあげない(玄関や檻の中で生活させる)
→食事を与えない、逆に家事をすべて子どもにさせる
先ほど書いた
「自分は手を上げてはいない」
(つまり「身体的虐待は」行っていない)
という人であっても、
その他の行為を行っていれば、
立派な虐待者なのです。
虐待をされた側にとっては一生の傷になる
■虐待をされた側にとっては
一生の傷が心に残ります。
■子どもにとっては
「愛してもらえなかったのは自分のせいだ」
と思い込んでしまいがちなので
その傷が癒えるよりも早く
次々とまた試練がやってきて
その都度
「やっぱり自分が悪いのではないか」
「親も(叩きながら)「オマエのせいだ」と言ってたから」
と自分を無意識に責める環境で
育ち続けてしまったのです。
■1度や2度(虐待行為が)あっただけでも
子どもには深い深い傷が残ります。
それが一度ならずも何度も繰り返されたなら。
やがてフラッシュバックや過呼吸、
PTSDを発症する問題にもなり得る
大問題なのです。
学校からの帰り道に『親の笑顔』を神に願う子
■ある、20歳の学生さん(女性)が
カウンセリング中、
「毎日家に着く前に
「どうかお母さんが怒ってませんように」
と祈りながら帰った。
でもその願いは聞き入れてもらえず
「神さまにも嫌われる悪い子なんだ」
と思い込んで生きてきた」
と言われて、
思わず涙が出そうになったことがあります。
■この子は何も悪くないのに。
この子がそんなことを思う必要なんて
ひとつもないのに。
悲しい気持ちを通り過ぎて
怒りまで湧いてくることも
少なくありません。
■それなのに(虐待を与えた)親は
今も、何の反省もせず
「昔のことだ」
「もう済んだことだ」
「いつまでもしつこい」
「今はもうやってないからいいだろう」
「あれはあれで教育の一環だ。しつけだ」
「おかげでいい子に育ったじゃないか」
「オマエも親になればわかる」
としか言わない、と言います。
■さらにそれに追い打ちを掛けるのが
「社会の目」です。
「子どものことを愛していない親はいないのよ」
■子どもの頃の虐待のつらさを
誰かに勇気を持って打ち明けたとき。
■高い確率で
『さも正しいと思われている一般論』に
虐待を受けた側が打ちのめされる
ことがあります。
それが
■「子どものことを愛していない親はいないのよ」
という残酷極まりない言葉です。
■「子どものことを愛していない親はいない」
という言葉が、
『虐待行為を受けてきた子』に
重く、そして鋭く。突き刺さっていくのです。
■想像してみてください。
毎日殴られ。怒鳴られ。蹴られ。
食事も満足に与えてもらえず、
髪の毛や虫、ゴミクズを
入れられたご飯を食べさせられ。
毎日学校帰りに
「神さま。今日はお母さんが怒っていませんように」
と願いながら帰るも、その願いは
いつも木っ端微塵にされて
そうして成人した人に向かって、
その事情を知らない大人が
「子どものことを愛してない親はいないのよ」
などという言葉を発したとしたら。
言われた側の気持ちはどうなるでしょう?
■セカンドレイプという言葉があります。
「被害者の方にも問題があったんじゃないか」
という心無い言葉です。
■虐待に遭遇してしまった子にも
同じことが言えます。
子どもには何の罪もありません。
なんの罪もないのです。
■性的被害を受けた人に
「どうして叫ば(逃げ)なかったの?」
「やられた側にも問題があったんじゃない?」
などと言っては絶対にいけないし
■うつ病を発症した人に
「頑張って」
などと言ってはいけないし
■親から虐待を受けた人に
「子どものことを愛していない親はいない」
などと言ってはいけないのです。
■場合によっては年配のカウンセラーまでもが
「子どものことを愛してない親はいないのよ」
などと言い放った、という事例も(複数)聞いています。
本当にいい加減にして欲しい。
同じカウンセラーとして、強い憤りを感じます。
虐待は被害者の心の中で永遠に続く
■虐待された経験を持つ人にとって
そのシーンは、ありとあらゆる場所で
蘇っていきます。
■食事をしていても、
欲しい服が見つかったときも
小さい子どもを見かけたときも
急に雨が降ってきたときでさえ、
ふとした瞬間に
あの頃の出来事が蘇るのです。
■「もう済んだことだ」「昔のことだ」
などと言えるのは
虐待を与えた側だけです。
■ましてや、
虐待を受けた本人が今も苦しみながら
「カウンセリングを受けたい」と
言っているにも関わらず
「いつまでも何十年も前のことを
まだ引きずってるのか」
「オマエは昔と変わらず強情だな」
「そんなことだから弱いままなんだ」
などと言うのはもってのほか。
■本当は虐待を与えた側が
費用を全額負担して、
なんなら与えた側も
カウンセリングを受けていただきたい。
■お子さんが受けた傷は。
そうカンタンには癒えたりしないのです。
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